12月の言葉
心の煤(すす)
越智越人(おち・えつじん)江戸中期の俳人。
歳の暮れに家の内外の清掃は隈なくしたものの、いちばん肝心な心の煤はらいを怠って正月を迎えた実感を吟じたものです。
薪や炭を用いなくなった現代、台所は煤けなくなりましたが、心に煤がたまることは今も変わりません。むしろ昔より今の方が心の煤は多くなったのではないでしょうか。
11月の言葉
寒 山 詩
中国唐代、西暦7~8世紀の僧で文殊菩薩の化身ともされる「寒山」が詠んだ漢詩。寒山の活躍した時代は日本の奈良時代末から平安時代の初めにあたります。
吾心似秋月 碧潭清皎潔 無物堪比倫 教我如何説(原文)
吾が心秋月に似たり、碧潭清くして皎潔たり。物の比倫に堪ゆるは無し、我をして如何が説かしめん。(邦訳)
「私の心は秋の名月に似て、青々とした深い水のように透明で汚れがない。これにならぶことのできるものは他に無い。私はこれをどのように説明すればいいのか分からない(現代訳)」全文で「比類なく無色透明な私の心を教える術が無い」と悩みを述べることで、欲や憎悪という心を苛む色に染められていない「無色の心」の大切さを諭しています。時折、自らの心を眺め、心の月に雲が掛かっていないかを確かめる事が大切です。
10月の言葉
面壁九年
武者小路実篤。小説家・劇作家。40歳の頃から絵筆を握るようになり野菜や花を率直かつ素朴なタッチで写生し、脇に簡潔にして意味深なさまざまなことばを書きつけている。今月の一文もまたそのひとつ。
背景にある陰影は白隠禅師が描いた「菩提達磨」の御姿です。達磨大師は禅宗の開祖として「祖師」と呼ばれており、光明寺が属する「臨済宗」もまた「禅宗」の一派です。達磨大師はインドから中国に渡り、少林寺に籠り、九年もの間只壁に向かって坐禅を組み遂に悟りを得たと伝わります。この故事を「面壁九年」と呼び、長い座禅の間に手足が萎え朽ちたと云う達磨の姿を模した物が、「祈願だるま」「必勝だるま」「福だるま」として身近に目にする「だるま」飾りとなっています。達磨大師の御命日は十月五日。達磨忌と呼ばれ大切な忌日となっています。
武者小路実篤の思いは、「桃栗三年柿八年」と果樹が実をつけるにも時間が掛かり、達磨大師は九年も壁に向かい坐禅を組んで悟りを開いた。自分は一生をかけて実を実らせるのだ。と云う。実篤の真意がいずれに在るかは読む人次第ですが、「思想の借り着は害がある」と述べたと在るように、実篤は他者を尊敬し影響を受ける事は是としながらも、他者を模倣し比べることは身を亡ぼすと考え、自分は他人と同じで無くても良いと強く思っていたようです。
9月の言葉
種田山頭火
五七五の型に縛られず作る『自由律俳句』の代表的俳人。
単に山頭火とだけ呼ばれることが多い種田山頭火は、明治15年山口県防府市に生まれ、15歳の頃から俳句を始め、昭和15年に生涯を閉じるまで八万もの俳句を詠んだと伝わります。しかしその大半は知られていません。生家は村の大地主で裕福に育ちましたが、晩年「無駄に無駄を重ねたような一生だった」と述懐する通り、その生涯は不幸や不運、そして数々の失敗から自棄になり多くの失意を味わった人生でした。晩年、日本各地を放浪しその中で自らの感情を俳句として昇華させ、多くの作品を世に残してゆきます。
山頭火が「彼岸花」を題材として詠んだ俳句は他にも幾つか伝えられており、その中に「彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり」と云う句があります。山頭火にとって彼岸花(曼殊沙華)は、「仏心」を象徴する華だったのでしょう。他に「悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる」と云う彼の人生観を垣間見る事の出来る一句も残されます。
8月の言葉
いのちのバトン…
「ふた親」が居たからこそ自らの人生が始まった。そう考える機会は日常余り無いかも知れません。しかし今ここにある数多の命は全て遥か昔から綿々と繋がり紡がれた命です。それを私達に諭す言葉を『相田みつを』先生も残しています。ここに「いのちのバトン」と云う詩をご紹介しましょう。
父と母で二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと十代前で 千二十四人
二十代前では・・・?なんと百万人を超すんです
過去無量のいのちのバトンを受け継いでいま、ここに自分の番をいきている
それがあなたのいのちです
それがわたしのいのちです
相田みつを
こうした遥か昔の多くの人の魂が現在の自分に繋がる。それを感じられる数少ない機会が「お盆」かも知れません。昔から毎年8月13日から16日までのお盆の時期には、ご先祖様の霊が「この世」に戻られると信じられており、ご先祖様の道行きを案内する為に迎え火を灯し家族でお墓参りをします。「お墓参り」は決してご先祖様の魂の安寧を願うだけではなく、生き続ける親族に魂の繋がりを感じさせる為にもある事です。
7月の言葉
人生は旅なり
物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえです。
執着は手枷足枷となって心を苛む苦しみの根源です。しかしそれが分かっていても執着を捨て去る事など常人には困難な行いと言えるのでしょう。新型コロナ感染症の蔓延防止の為に自粛の機会を得た私達でしたが、様々な人の動きを見るにつけ執着を捨て去る事の困難さを思い知らされたことは皮肉な事と言えるでしょう。
今回の「自粛」を例えれば、人生という旅の途中、雨に降られ雨宿りするような物。無理して旅路を急げば却って災いに逢い難渋する事にもなりかねません。勿論、雨が上がったからと急ぐことも用心が必要です。でも、わかっていても出掛けたくなるのは人情というものでしょうか。
もしかすると新型コロナよりも「人生という旅を急ぐ執着」の方が根の深い病魔なのかも知れません。
6月の言葉
雨の日には…
「晴耕雨読」の語源は明治時代に塩谷節山が書いた漢文詩に在ると言われそれ程古い言葉では無いようです。この言葉は引用者の思いを伝える「例え」として用られる為、仮に怠惰な人が誤用すれば「怠惰な日常を肯定する例え」と成ってしまいます。この言葉は勤勉な人が「在りのままに”生きる”姿」を伝える例えです。怠惰な日常を肯定する例として用いては言霊の思いに反するでしょう。
この「晴耕雨読」という言葉を辞書で引くと「世俗(社会)から離れた悠然とした生活」と説明されます。しかしその文字を読み解くと「”晴”の日には田を耕し(生活の糧を得て)、”雨”の日には読書する(人生の糧を得る)」という「勤勉」の例えであり、これを「世俗を離れた生活」の例えとすると多少の誤解は免れません。字面(じずら)通りに解釈すれば”晴”とは常なる時を意味し、”雨”とは常ならざる時を指します。常ならざる時も無為に過ごさずに”出来る事をする”と云う例えです。まさに緊急事態宣言下の自粛期間は”雨”と呼べる時期でしょう。
その自粛期間もそろそろ終わりに近づき、常なる日が再び始まろうとしています。しかしまた訪れるかも知れない”雨の日”に”何をするか”で人生の豊かさに違いが生れるかも知れません。”雨の日”には”雨の日”の過ごし方を見つける事が必要な時代かも知れません。
5月の言葉
善き友
お釈迦様は、お弟子の阿難尊者に「善き友、善き仲間を持つことは聖なる修行のすべてである」と諭されました。何事も一人では成し遂げがたい。善き仲間に恵まれることは幸いである。との教えです。
例年当山では連休のこの時期、お釈迦様の誕生をお祝いする「花まつり」として「ぼたん祭り」を開催しておりました。しかしながら本年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点からお祭りを中止させて頂きました。
それでも例年に無く静かな光明寺境内では、何も知らない牡丹が今年も大輪の花をつけています。ただ、風に靡くその姿は心なしか寂しく感じます。
4月の言葉
結果自然成
「一華開五葉」という言葉は「結果自然成」という言葉と対句となっており、禅宗の初祖菩提達磨大師が慧可に伝えた伝法偈の中の一句と伝わります。古来開運吉祥の語として用いられました。
『(花を咲かせる)努力を惜しまなければ、結果(実)は自然と成るものだ』との教えで、「人事を尽くして天命を待つ」と同様の言葉です。
疫病が流行る時には、手洗い、うがいを心掛け、人混みを避け静かに時を過ごす事が『人事を尽くす』ことであり、即ち「一華開五葉」と云う事です。その結果は自然と現れるであろうという教えです。
3月の言葉
「いのち」の再生
この句は春の息吹を如実に示した、「いのち」の再生に対する讃歌としてとらえられているようです。木々の芽吹きを見るとき、本格的な春の到来を感じます。固い冬芽がだんだんとふくらみ、潤いを帯びた春の空気に芽を出す。これこそが春の到来でしょう。冬枯れの野も、緑の若草に覆われ、いのちの息吹を感じさせてくれる春。そんな季節を私たちは待つのです。春は万物のいのちの再生と活動の再開を端的に教えてくれる季節です。
しかし、禅語では「生ずる」ものを何と捉えるかによりこの句に別の解釈を与えます。それは「修行によって心をすっかり浄化させ、焼き尽くしたと思い、煩悩がなくなったように見えても、その根源には焼き尽くすことのできない煩悩がしっかりと残っている。ゆえに、不断の努力なしには煩悩の滅除は困難である」との解釈です。ここには、因果律を見据えた仏教ならではの発想があるようです。
参照:妙心寺
2月の言葉
涅槃会
『己こそ己の寄るべ、己を置きて誰に寄るべぞ。よく整えし己こそまこと得難き寄るべなり。自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが清し。清きも清からざるも自らのことなり。他のものに寄りて清むることを得ず。』
法句経に記されたお釈迦様の言葉で、お釈迦様が入滅されるとき弟子に言い残した言葉と伝わります。
陰暦の2月15日はお釈迦様が入滅された日とされており、仏教においてはお釈迦様の誕生を祝す「降誕会」、悟りを開かれたと伝わる「成道会」と共に大切な日として伝えられます。禅語にある「自灯明、法灯明」の語源となったと言われる言葉です。
令和2年1月の言葉
慶賀光春
今年が皆様にとって良い年でありますよう願いを込め、その始まりの月を大切に思いつつ相田みつをの言葉を記してみました。
相田みつを氏の言葉は「謎掛けの言葉」が多いように思います。読む人の感性に訴えることで十人十色に異なる意味を感じられます。それだけにその言葉の意味を問うのは野暮というものですが、それでもなおその意味を語りたいと思うのは人間だからでしょうか。
この言葉は『原点であり自分でもある「一」とは何か』を問う言葉です。シンプルに「自分を見つめ直せ」とも聞こえますし、「原点」と云う過去と、現在で在る「自分」とを繋ぐ「一」を問い掛けるようにも聞こえます。氏の言葉には、読む人が自分の身の上を投射して心に響かせる「隙間」があり、その隙間によって私達に「何か」を気づかせてくれます。新年にあたり今日の自分の原点を見つめる機会になればと思います。
相田みつを氏が果たしてどのような思いで言葉を残したかは分かりません。読む人が感じた事こそが答えだと私は思います。
12月の言葉
叱られる人
小林一茶の父は臨終の病床で「ナシが食べたいと」と呟いた。一茶は梨を求め遠い街まで走ったが季節はまだ四月、梨などあろうはずも無い。父の最後の願いを叶えられず一茶は父を見送ることとなった。三十九歳の事である。
”叱り”とは”罰”です。一茶は決して「叱られる人(罰せられる人)が羨ましい」と詠んだのでは有りません。寂しい自らの境遇に対比して「叱ってくれる人」つまり「貴方を見ていてくれる人」の居る事が羨(うら)やましいと詠んだ句です。「羨ましい」という言葉で「貴方を見ていてくれる人の居る日常」が”大切な時間”だと表現しているのです。だからその時を悔いの無いようにと言いたいのでしょう。
私も師で在り父でもある先代・徹宗和尚を二十八の歳に亡くし、失われた時間と残された言葉の数々に寂しさと後悔を抱きました。徹宗和尚は平成18年に六十の若さで遷化し私の光明寺でのつとめも今年十三年になります。
日々の暮らしの中、時には身近な人の言葉が耳に痛い事も在るでしょうが、そんな時に噛み締めたい一句です。
11月の言葉
楓葉経霜紅
秋の景色を楽しみ、日本語の美しさを感じるに相応しい句です。楓葉(ふうよう)とは楓の葉。その意味は語るまでもなく「楓は霜(寒さ)を経てはじめて紅に染まる。人も苦労を経てはじめて功を成す」と云う事です。
先日ノーベル賞の発表が有りました。今年も日本から吉野彰さんが受賞し話題となっています。しかし吉野彰さんがノーベル賞を受賞するまでの人生には多くの困難が有り、様々な苦しみも有ったに違いありません。
この句に日本語の美しさを感じるのは紅葉を季節の終わりと捉えず、紅の美しさを季節の集大成と捉える所です。吉野彰さんのノーベル賞受賞はまさにその人生を紅に彩る集大成で有ったと言えるでしょう。おめでとうございます。
10月の言葉
頭の下がる稲穂
五・七・五と俳句の型で詠まれる『稔ほど頭の下がる稲穂かな』という一文は広く「ことわざ」として用いられ、他にも『実ほど頭を垂れる稲穂かな』と異なる読みも伝わります。
「ことわざ」の意味は辞書などで紐解くと、「功成り名遂げた人ほど謙虚である(あらねばならない)」と云う教訓として説明されます。「稲穂」は古に於いて経済基盤を意味し、土地の支配、権力の象徴であり『稲穂が稔る」姿は本来「富裕者」や「権力者」を意味しますが、近代では人として成熟した姿として用いられます。また「頭の下がる」姿は「礼節をわきまえた姿」の例えとなります。
つまりいずれかの道を究めれば「稲穂」のように自然と「頭の下がる(謙虚に)礼節をわきまえた姿になるものだ」という観察を述べた言葉です。似た言葉に「倉廩実ちて礼節を知る」というのも有ります。いずれも人は稔ほど礼儀正しい姿になるという事です。
9月の言葉
菩提の種
松尾芭蕉によって詠まれたこの句は、彼岸という日に込められた教訓を「蒔く」という身近な言葉で親しみやすく伝えてくれています。
「菩提」とは、お釈迦様の悟り、涅槃の境地を指す「智慧」のことであり、さまざまな煩悩や執着の炎を消し去った静かな心の在り方です。この句は彼岸は心に菩提を育む日であると教えてくれています。
わたしたちの生きる世界は「諸行無常(あらゆる物事が常では無い)」のことわりの中に在り、そこで生きることで様々な葛藤に苦しみます。葛藤は欲や執着から生まれます。そうした欲や執着を軽くするには感謝の気持ちが大切です。彼岸の日、ご先祖様に祈りを捧げ感謝することは心の中の欲や執着を洗い流し、菩提という「やすらぎの境地」を育むことになるのです。お墓参りの時には手を合わせ、ありがとうと感謝の一言を添えてください。
8月の言葉
ご先祖を迎える日
盂蘭盆会の行事は、祖先をお祀りする行事です。
この言葉は、亡くなられた人の魂が下界に戻り、ひと時、在世にある者と同じ食卓を囲み懐かしむ、そのような時を描いた言葉です。
お盆の起源は定かでは在りませんが、その考え方は『施餓鬼供養』と同じく、三界萬霊(すべての世界の諸精霊)に施しを行う事で徳を積み、それを以て祖先の御霊の安寧を願う行いです。
小さな子供には、『ご先祖様の里帰り』と身近に感じて貰るように教えられていると思います。ご先祖様が迷わず現世に里帰りできるよう灯す火を『迎え火』、そしてまた迷わず彼の世に戻れますようにと灯す火を『送り火』と申します。光明寺でも皆様のご先祖様が迷わずに家族の元に戻れますよう、願いを込めて『迎え火』を灯しております。
7月の言葉
お盆の精霊棚と幡
『七夕(棚幡)』という行事の起源は様々な説があり、日本で古くから行われていた「禊(みそぎ)」の行事と、中国伝来の「機織りや裁縫の上達を願う」行事が合わさった物であるとか、お盆の時期に精霊棚と幡を飾る棚幡が名前の由来であるなどと言われます。日本に仏教が伝えられて以降七夕の行事は、お盆を迎える準備の行事として行われるようになりました。
正岡子規が詠んだこの俳句は、笹竹に明日への夢や、希望や、願いを込めて短冊を下げる大人や子供の喜びと幸せに満ちた様子を詠んだものです。夢や希望はそれを願う人だけでなく、周りの全ての人たちも幸せな気持ちにさせてくれます。
一年後東京で開かれるオリンピックでは、幼い頃七夕の短冊に夢願い、そしてそれを叶えた人達が日本中の人に喜びを感させてくれると信じています。
6月の言葉
一雨潤千山
一雨潤千山(いちうせんざんをうるおす)とは、禅語のひとつで『雨は多くの山を潤す』という意味であり、釈迦の教えは分け隔てなく降り注ぐ慈雨の如く、誰一人をも区別することなく衆生すべてに等しく恵を与えてくれるという例えに用いられます。
「一雨」は「雨が降る」という意味。今も昔も、出掛かける時に雨に降られれば面倒で気分が沈む事もあるでしょう。しかしその雨は夏を迎えるにあたり千山を潤す価値ある恵であり、無くてはならない物です。今の自分にとっては不快で面倒を生む出来事であっても、見方を変えればそれも大切な事だと気付ける事がある筈です。
例えれば一雨潤千山の雨は『親の小言』のようなもの、時として煩わしく感じるかもしれませんが、それはすべて「千山」つまり子供に恵みを齎すものだと言うのが一番当て嵌まるかも知れません。
5月の言葉
柳は緑、花は紅
あるがままの例えです。
「あるがまま」の意味するところはとても深く、自然本来の姿が一番美しいという「賛辞」、また本来の自分を偽り、自分と懸け離れた生き方をする事はするなと戒める「訓戒」、そして肩の力を抜きなさいと「無為自然」を説く「教訓」など様々です。
しかし「あるがまま」とは「何も努力しない怠惰な姿」ではありません。古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスが説くように「万物は流転」します。社会や身の回りのあらゆることは常に変化してゆきます。柳も花も春には緑を茂らせ花をつけ、秋にはその彩りをしまい込みます。つまり「あるがまま」とは「静」ではなく、変化する日々の中で流れるように生きる「動」の生き様を指しています。自らの欲に囚われ変化を拒むのではあるがままには生きられません。
それは『ポツンと一軒家』というTV番組に登場する家主のような生き方かも知れません。まさに「あるがまま」の生き方ですが、決して安楽な生き様では有りません。
4月の言葉
百花春至為誰開
「美しく咲き乱れる春の花はいったい誰の為に咲くのか」との問いかけの言葉です。
言うまでもなく、花は自然の流れのまま自らの為に咲いています。決して丹精込めて慈しみ育てた人の為でもなく、その美しさに心振るわせる誰かの為でも有りません。例え野に咲く花を一輪手折り、床の間に飾ってみてもそれは貴方の為に咲いた花にはなりません。
時として人はすべてを手に入れたいと望みますが、たかだか花の心さえ私達は手にする事は出来ません。それでも花を愛で、その麗しさに心を和ませ、感謝する事は貴方の望むがままです。
「花は誰の為に咲くのか」という問い掛けは、そうした空しい欲を悟る問い掛けです。誰の為に咲いたのかなど悩む前に先ずは美しく咲いた花を楽しむ事が大切では無いでしょうか。
3月の言葉
とらわれない心
人には誰でも五つの欲(食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲)が有ると言われています。それらは人が生きて建設的に人生を送る為には必要な物でもありますが、時に過ぎた欲望が身も心も苦しめる原因になります。
『とらわれない心』とは、そうした『「過ぎた欲」にとらわれない心』という意味です。その為には欲望と決別する深い思慮が必要です。決して「心を空にする」ということでは有りません。「無思慮に物をねだる」様を「無心する」という通り、思慮する場である「心」を空(無)にしては、「欲望の赴くまま」の浅ましい様に苦しむ事になります。「空」にするのは「過ぎた欲」なのです。
「欲」の他にも心を苛む様々な「感情」があります。傲慢、嫉妬、憎悪、執着、時として愛さえ貴方を苦しめる枷となります。『空』とはそうした心を苛む感情を捨てた境地を捉えた言葉です。
施餓鬼供養もそうした心の修養の一つとして行われる行事です。