~ 日々是好日 ~ 在りのままに生きる
在りのままに生きる事、それを幸せに感じる事が『日々是好日』の境地です。物事を『不運』と感じるのは内にある欲望やしがらみ(柵)によるものです。そうした欲望やしがらみを捨て去り『在りのまま』を受け入れ生きる事で『良き日』は生れてきます。『在りのままに生きる』ということは決して自由気まま、我儘放題に生きるという事ではなく、本来の自分を偽らず、運命を呪わず、自然の巡り合わせを素直に受け入れる生き方です。
供養とは「供に養う」と書かれるとおり、例えば大切な親族を失くし悲しみに押し潰されそうな時であっても、それを『自然の大きな流れのひとつ』と受け入れられるよう、亡くなられた方の冥福を祈り、現世を生きる遺族の心もまた安寧に導く事を目的としています。
宗教、宗派の違いにより葬儀の形は異なりますが、「亡くなられた故人の冥福を祈り別れを告げる儀式」である事に違いは有りません。仏教においても通夜、葬儀の形や在り方は時代によって変化しており、地域や習慣などにより異なるところもあります。光明寺ではそうした事情を踏まえた上で臨済宗の儀式に則り葬儀を執り行います。葬儀全般に関してはご遺族様とご相談の上でお通夜、葬儀、告別式、火葬、初七日となり、その流れの中で供養の儀式を執り行ってまいります。
葬 儀 の 流 れ | |
---|---|
葬儀の相談(自宅で亡くなられた時) | ※ 必ず医師により死亡診断書を作成頂く必要があります。 |
〇 お寺への連絡 | |
何かに迷われたならば先ずお寺にご連絡下さい。葬儀社などもご紹介できます。 | |
〇 ご遺体の安置 | |
ご遺体を自宅に安置出来ない場合、搬送は葬儀社が行います。葬儀社の安置用施設などが利用できます。 | |
〇 葬儀の日程 | |
ご遺族の希望に基づきお寺との間で決めさせていただきますが、火葬場および斎場の都合により変更になる場合もあります。 | |
葬儀の相談(医療施設で亡くなられた時) | 〇 ご遺体の搬送 |
夜間などご遺体の搬送を急ぐ場合には病院側が葬儀社を手配して下さる事もありますが、その場合必ずしもご遺体の搬送を行った葬儀社に葬儀全般を依頼する必要は有りません。 | |
〇 お寺への連絡 | |
落ち着かれたならばお寺にご連絡下さい。 | |
〇 葬儀の日程 | |
ご遺族の希望に基づきお寺との間で決めさせていただきますが、火葬場および斎場の都合により変更になる場合もあります。 | |
葬儀の準備 | 〇 ご遺族と葬儀社との打ち合わせ |
喪主を決めていただき、葬儀社と式の打ち合わせを行います。一般的に「死亡届」や「火葬許可書」などの手続きは葬儀社が代行しますので、ご遺族は関係者への連絡や身なりの準備などを行います。 | |
〇 お寺との相談 | |
お寺には亡くなられた方のお身内の方がお越しください。ご葬儀について必要なお話し、打ち合わせをさせていただきます。 | |
葬 儀 | 〇 お通夜:本葬儀の前日の夜に行うお別れの儀式。 |
〇 葬儀:亡くなられた方のご冥福をお祈りする儀式。 | |
〇 家族葬:近親者のみの小規模な葬儀。 | |
〇 告別式:亡くなられた方へのお別れの儀式。 | |
〇 火葬:ご遺体を荼毘に付しお骨にします。 | |
※ 光明寺では葬儀の日に初七日から六七日までの御供養を併せて行っております。 | |
※ 火葬は死亡後24時間を経ないと行えません。火葬場の都合などにより、本葬・告別式の前もしくは後に行われます。 | |
葬儀の後 | 〇 お寺との相談 |
四十九日法要や納骨など今後のご供養の事についてお話します。 |
◎ 葬儀・告別式に関するお問い合わせは、お電話でお願いします。
(TEL:0284-41-8986)
中陰とは亡くなられた方が次の世に生を受けるまでの四十九日の期間を指して言います。中陰の間七日ごとに亡くなられた方の冥福を祈り行う供養(追善供養)を中陰法要と呼びます。
初七日(しょなのか) | 初願忌(しょがんき) |
二七日(ふたなのか) | 以芳忌(いほうき) |
三七日(みなのか) | 洒水忌(しゃすいき) |
四七日(よなのか) | 阿経忌(あぎょうき) |
五七日(いつなのか) | 小練忌(しょうれんき) |
六七日(むなのか) | 檀弘忌(だんこうき) |
七七日(なななのか) | 四十九日・満中陰-大練忌 |
年忌法要とは中陰(四十九日)が明けたあと、定められた年ごとに故人の冥福を祈って行う追善供養のことです。亡くなられて100日目の法要である『百か日』だけは異なりますが、そのほかは定められた年の祥月命日前に行うを良しとしています。なお祥月命日とは『祥月』と『命日』のふたつの言葉から作られており、祥月とは故人が亡くなられた月を指し、命日とは亡くなられた日を指します。つまり一年に一度おとずれる「故人が亡くなられた月の命日」が祥月命日にあたります。毎月おとずれる「故人の亡くなられた日」は『月命日』と呼んで区別されます。
法 事 の 流 れ | |
---|---|
法事のご連絡 | 〇 お寺までご希望の日時、場所をご相談ください。 |
〇 法要準備品 | |
ご供養される方がお供えする品が必要になります。お寺でもご用意できる品も有りますのでご相談ください。 | |
※ 法要当日は、儀式をはじめる15分前にはお集まりください。 |
百か日 | 命日から数えて百日目の法要 |
一周忌 | 亡くなられて1年目の祥月命日の法要 |
三回忌 | 〃 2年目、3回目の祥月命日の法要 |
七回忌 | 〃 6年目、7回目の祥月命日の法要 |
十三回忌 | 十二支を一巡した12年目の法要 |
十七回忌 | 〃 16年目、17回目の祥月命日の法要 |
二十三回忌 | 〃 22年目、23回目の祥月命日の法要 |
二十五回忌 | 〃 24年目、25回目の祥月命日の法要 |
二十七回忌 | 〃 26年目、27回目の祥月命日の法要 |
三十三回忌 | 〃 32年目、33回目の祥月命日の法要 |
年忌法要は宗派によって違いもありますが、臨済宗では3、5、7という数を重視しておりこの後も三十七回忌、四十三回忌、四十七回忌、五十回忌と続き以降50年ごとに遠諱(おんき)法要を営むこともあります。民間信仰においては三十三回忌をもって弔い上げと称し供養の区切りとする事も観られます。
人生の平穏を仏様にお祈りする事を『祈願』と申します。光明寺では本堂において願いを抱かれる方と共に仏様に祈願し、その願いをお札に込めてお授けしております。
『祈願』は人が生きながら求める様々な願いです。時には不幸や災いなどの『厄』を祓うことを願い、また時には良縁、安産、合格などの諸事安泰を願います。大切なことは強く願う気持ちです。お札はその気持ちを形にして思い続ける為のものです。
厄除け | 厄除けにあたる年の無病息災を願う祈願です。 |
方位除け | 九星から生じた方位神のうち凶神が在る方位(凶方)に事を起こす際に災いを避ける祈祷します。 |
家内安全 | 家族や家族の有する資産の安全を脅かす魔を祓い安寧を祈願します。 |
交通安全 | 日常における交通の安全、広くは人や物の流れの安全を祈願します。 |
商売繁盛 | 商いの安全、繁盛と共にお客様、従業員の安泰を祈願します。 |
安産祈願 | 子宝に恵まれ子孫繁栄となるように祈願します。 |
良縁祈願 | 人の世の幸せを紡ぐ様々な良縁に恵まれますよう祈願します。 |
合格祈願 | 学業成就、念願成就を祈願します。 |
必勝祈願 | 競い事、勝負事に勝つことを祈願します。必捷とも書き、先んずることを願う事も意味します。 |
この世に生まれてくることが出来なかった幼い魂は、現世の穢れに染まらず、煩悩も持たず、この上なく清らかな存在です。その穢れのない魂が迷わずに仏様の元に導かれるようご供養いたしております。現世においてまみえる事の出来なかった人たちと再び仏の前で巡り合えますようお祈りさせていただきます。
一般に愛玩動物(ペット)という呼び方をされていますが、ともに暮らし心を通わせ家族同然であった生き物のことは伴侶動物(コンパニオン・アニマル)という呼び方が、残された人の心情にそった言い名であると思います。現世において人と異なる姿かたちをしていても仏の前ではその魂は同じです。
光明寺では共に暮らし家族の一員であった伴侶動物(コンパニオン・アニマル)の供養を行い残された人の慰めとなるようにお祈りさせていただきます。
施餓鬼法要とは、餓鬼道に苦しむ三界萬霊に施しを行い供養する事により祖先を含めた自らを救済する供養です。盂蘭盆会に行われる事が多い儀式ですが、お寺により様々な時期に行われます。光明寺では八月の盂蘭盆会の時期に行わせて頂いております。
施餓鬼には様々な由来が伝わりますが、その真意は「欲する気持ち」を捨てる事により自らの心に潜む餓鬼(苦しみ)を落とす事が目的です。施しや喜捨はそうした欲を捨てる行為であって目的では有りません。心に潜む餓鬼(苦)はどのようなものであるかは白隠禅師が残された「坐禅和讃」に学ぶことが出来ます。
盂蘭盆会(うらぼんえ)とは、一般には「お盆」という呼び名で親しまれます。もとは旧暦の7月15日を中心に行われておりましたが、改暦により現代では旧暦7月に相当する8月13日から16日に行うようになった地域や、改暦後も7月に行っている地域など様々です。光明寺では8月に盂蘭盆会を行っています。
盂蘭盆会は、亡くなられた祖先を供養し亡き人を偲ぶ祖先供養の行事として古くから行われていました。元は道教の「七月朔日に地獄の窯が開き、七月十五日の中元に地獄の窯は閉じる」と言う考えに影響されており、その間に祖先の霊は供養する現世の人の元に帰ってくると信じられていました。
盂蘭盆会のはじまりの13日に野火を灯し祖霊を導く事を迎え火と呼びます。光明寺では境内から墓地に迎え火を灯して祖霊をお迎えし棚経を行っております。
盂蘭盆会の終わりの16日は、『送り盆』と呼ばれており、地域によっては野火を灯して祖霊を送る送り火が行われます。京都五山の送り火がとくに有名で、他にも各地で灯篭流し、精霊流しなどの行事が行われています。光明寺ではこの日合同の新盆供養を行い、この一年のあいだに仏様となられた御霊のご供養をしております。
令和元年の盂蘭盆会(うらぼんえ)~ 施餓鬼供養
令和元年8月16日は、「彼の世(あのよ)」からお帰りになったご先祖様の御霊を再び送り出す日です。光明寺では毎年この日に新盆(この一年に仏となった仏様の初めてのお盆)供養と共に、施餓鬼供養を行っております。
当日は朝から弱い雨が続き生憎の空模様でしたが、供養の為にご親族の皆様は朝早くから光明寺にお参り下さいました。
供養に来られた方には一年の内その日にしかお見せしていない『十王経』の世界を描いた掛軸をご覧いただいております。
『十王』とは死後『地獄』において死者の魂を審理する十尊を指します。魂は輪廻転生の輪の中にあって生まれ変わると信じられています。十王は死後七日ごとに魂の生前の『罪』を審理し、六道のいずれに魂を転生させるかを決めます。この六道と言うのは「天道、人間道、修羅道」の三善道と「畜生道、餓鬼道、地獄道」の三悪趣(三悪道)に分かれます。
三十五日目に審判する『閻魔王』は日本では『地蔵菩薩』であり、魂が六道のいずれに転生するか、その行き先を決定します。墓地の入り口や村の境、街道の分れ目などに「お地蔵様」が祀られるのは、その役割ゆえの事です。
十王を描いた掛け軸は私達が常に抱いている『罪と罰』への恐れを思い起こさせることで、『善行』へと導く経典と言えるでしょう。
審理の日 | 十王 | 本地(仏) |
---|---|---|
初七日(7日目) | 秦広王 | 不動明王 |
二七日(14日目) | 初江王 | 釈迦如来 |
三七日(21日目) | 宋帝王 | 文殊菩薩 |
四七日(28日目) | 五官王 | 普賢菩薩 |
五七日(35日目) | 閻魔王 | 地蔵菩薩 |
六七日(42日目) | 変成王 | 弥勒菩薩 |
七七日(49日目) | 泰山王 | 薬師如来 |
百か日(100日目) | 平等王 | 観音菩薩 |
一周忌(2年目) | 都市王 | 勢至菩薩 |
三回忌(3年目) | 五道転輪王 | 阿弥陀如来 |
法会は新盆のご供養と共に施餓鬼供養が行われます。
新盆の御供養は、亡くなられから四十九日を過ぎて仏となった故人が迎える初めてのお盆供養です。また施餓鬼供養とは「餓鬼道」に堕ちて苦しむ亡者に施しを行う「善行」により、ご先祖様や自らを救済する為のご供養で、光明寺では毎年8月16日に新盆供養と共に催しています。
施餓鬼供養には、「執着を捨てましょう、こだわりを捨てましょう」という教えが込められています。それは「執着」が心を苛み(さいなみ)苦しめる元凶であるのだから、それを捨てる事で初めて苦悩から解放されるという教えです。
その「執着」は物やお金に対してだけでは有りません。身の回りにある「愛」さえも時には執着の対象になります。施餓鬼供養はそうした心の仕組みを考える良い機会では無いでしょうか。これは近頃の流行り言葉『断捨離』と同じ考え方です。
お彼岸は春と秋の2回行われる供養行事です。春は春分の日、秋は秋分の日を『彼岸の中日』と言い、その前後三日間を含めた都合一週間が『お彼岸』の期間となります。
『彼岸』とは「清浄なる悟りの世界」である場所を指す意味と、儀式そのものを意味する場合の二通りがあります。場所としての『彼岸』は煩悩と迷いがある俗世『此岸(しがん)』に対する「彼方(かなた)の岸」を指し、古くは修行者がこの期間に自らを見つめ直し彼岸を求め修行する期間とされていました。一方、儀式としての『お彼岸』は日本独自の風習であり、在世の者が自らの源である縁(えにし)を見つめ直し、彼岸に住まう先祖の御霊を供養するようになったものです。
現代ではこの期間にご供養された塔婆をお墓に立て、先祖の成仏を一身に願う行事となっています。